□ ボスニアン テラワロストーリー
(2006/3/5 report by ハーミットボイン m9(^Д^) )



今年もやって来ましたる、ボスニアの季節が。
そして、そこには、たしかに人間のドラマが存在していたのです。

私こと、クロ田チア男は、クロアチアに生まれて、クロアチアに育った生粋の大阪人でした。 何不自由のない生活ではありましたが、日々の食事もままならないことも多々ありました。 そしてある時、彼らに出会いました。



彼らは、腹を空かせた自分たちに食料を提供してくれました。最新の移動調理車で、私の食べ物を用意してくれたのです。

凍えそうな私に、暖かい汁を多量に含む、アメリカ制とおぼしき食べ物を用意してくれました。


ところが状況が一変しました。

マジレスすると、粗相してしまいました。
せっかくアメリカからはるばる遠い異国まで安い給料で奴隷的にはたらく彼らはブチキレですよ。
俺様たちの作った食い物が食えないのかと。とにかく食えと。すすれと。この、週末に駅前にブラストされている嘔吐物のような様相を呈したものを食えとおっしゃるではありませんか。
・・・・ぶち殺せ!


我々は、この屈辱的な行為に対して、死を持って償っていただくことを要求しました。
アメリカのファンキーガイたちは、必死に抵抗していました。







そして、戦争は終わりました。

アメリカの方々は、国へと帰路につきました。
最後にであったアメリカ人は、国に残してきた妹の写真を私に見せてくれました。


そして二度とこの国で、アメリカの方々を見ることはありませんでした。
こうして、ボスニアの歴史が刻まれたので死た。



※この物語はフィクションですたぶん。
具体的なレポートは、まじめなミリタリーサイトをさがしてみてください。
フィギュアの今年か日記に書いてないようなサイトは信用してはいけません。
ではまた来襲!